砂山のパラドックス

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砂粒一つでは砂山ではない。
その砂に砂粒を一つ加えても、砂山にはならない。
従って、いくら砂粒を加えていっても砂山は出来ない。しかし現に砂山は存在する。

これは「砂山」という定義をあいまいにしているために生ずるパラドックスです。

これは積み重ねの逆説と言われ、似たものに、ハオ・ワンの逆説があります。「nを小さい数だとするとn+1=mは小さい。mが小さい数なので、m+1も小さい。 これを繰り返せば、全ての数は小さい」  これも「小さい」という定義をあいまいにしたことによるでしょう。この操作を繰り返すと、どこかの時点でm+1を「小さい」と呼べなくなるはずです。 これはどこかの段階で「砂山」が出来てしまうことに似ているでしょう。


パラドックスはあいまいな定義を基にしている場合が多いので、パラドックスを楽しむ場合は定義の確認は避けて通れない関門です。無意識に共通の理解があると思っている定義にあいまいさがあることに気が付くようになることは、パラドックス議論のメリットかもしれません。

しかし言葉の定義やあいまいさだけによるパラドックスは空虚な感じがします。やはり本物のパラドックスは科学の分野で出てくるものでしょう。
次は本格的なもの、地球外生命体に関する「フェルミのパラドックス」です。

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