おわりに

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本文全48則は、2004年3月から1年間、少しずつ連載しました。
Yahooホームページ、ぷららホームページ廃止、UCOM不具合などで以降何度か消失しました。
2026年6月に現在のサーバーへ移転し、内容と写真を更新しつつ連載を再開しました。

無門関四十八則の部分は、2004年3月に発売した拙著「現代に生きる無門関」の抜粋です。
ホームページ用にかなり短縮しましたので、語り尽くせなかった点も多々あります。
ぜひこちらの本も読んでいただきたくお願いいたします。

このページは後十年と経たない内に、私と共に消滅してしまうでしょう。 本をお求めいただけば、それよりいくらか後まで残ると思います。ご興味を持っていただいた方がおられましたら、 ぜひ本をお手元に置いていただきますよう、お願い申し上げます。

無門関をテキストとして禅に真剣に取り組み、自らの肉体を苛めてまで修行に取り組んでおられる方々を思うと、 このような解釈書もどきの雑文を発表することは恐れ多いことです。

無門関の私なりの理解を通じて、私自身は一つの安心を見出し、物事の本質を見たような気がします。 しかしそれは禅の目指す悟りとは全く別のものでしょう。禅に関する書物を読めば読むほど、 私と禅の間の深淵は一段と深くなってゆくようです。

でも、私はその深淵の反対側に立ちつつ、自分なりの安心は得られたような気がしています。
これを読んでくださった方も解釈の是非ではなく、解釈の幅とアイデアを一例としてご理解いただき、 新しい物事の見方のヒントにしていただければと思います。



ここに述べた解釈は、本来の意味とは違うものかもしれません。出版されている多くの参考書とは全く違う独断的なものです。 「心の安寧を求めるに独りよがりになりて周囲見えず。 書き終えて尚闇が深まりておられる筆者がお気の毒なよう」とコメントを下さった方がありました。

しかし、米国の禅の本には「無門関は日本では原著と異なる解釈がなされている」とするものもあります。解釈に幅があることもこのテキストの特色でもあると思います。 拙著も無門和尚の提起された課題に対する一つのアウトプットです。間違っているとしても、 それが私という一個の人格が真面目に取り組み、真剣に反応した一つの実例です。

無門関の世界を論理的に捉えて楽しんでいただける方があり、拙文に対しご意見をいただければありがたく思います。


全48則の部分には、全部で300枚ほどの絵が使われています。
このうち270枚は私が撮影した写真、20枚は版権フリーの仮想空間で撮影したもの、
10枚はネットで公開されているものを加工、2枚は「お断り」を記載し、ほぼそのまま使わせていただいています。この場を借りて御礼申し上げます。

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